自信がない人ほどダンサーになる
毎日家で妙なダンスを踊っているイヴことイヴです(何)
踊るアホウに見るアホウ
アホウにゃ色々あるけれど
呑んで踊れるレペゼン酒クズ
世界に一匹のイヴでありんすごきげんよう。
今日も今日とて、家で
「あーりがーとさーーーん」と
SAKATAダンスをカマしていたところ
「何かしら小ネタ披露しないと死ぬんか?」
的なツッコミを受けていた。
キャッツらも私に冷たい視線を浴びせる。
そう、これが私のステージ。(何)
まァ、そもそもキャッツらからしたら
餌を持っていない私などゴミか虫みたいな
モンであろうが… って失礼だなオイ!
とまァ、華麗にノリツッコミをキメて
恒例のヨタ話が済んだところで
本題に入ろうと思う。(ヨタらないと死ぬ病)
ダンサブルな人々
この記事を書こうと思い立ったのは
この方の記事を読んで諸々思ったからである。
なんつーか、お名前から刊行物名まで
色々ツッコみたくなる御仁ではある。
ぬ、ケツにどうこうという話ではないわ!
喝、喝ッ!!(やめれ)
詳しい内容はぜひもちスラさんの記事を
読んでいただきたいのであるが、
他人との比較に苦しみ、嫉妬する自分に
嫌悪感を抱いてしまうという
キッツいループからどう脱するか?
的なお話をされていた。
自分に自信が持てないとき、
私たちは誰もが同じような経験を
するであろう。
自信が持てないときほど、
誰かに認められたいという気持ちは
強くなってしまう。
それをコジらせ過ぎると、
自分を追い詰めるほどの負荷をかけたり
逆に自分を無価値にまで貶めたりする
「対自分最終兵器・俺ギアス」となり
自分で自分を壊し始めてしまう。(何)
俺ギアス化するには至らなかったとしても
自信が揺らぐとき、私たちは誰もが
「踊らされやすくなる」。
そう、自信なきダンサーの爆誕である。
バカにされたくないですよね?
認められたいですよね?
尊敬されたいですよね?
なんなら羨ましがられたくないですか?
そんなアナタになれる方法、欲しいですよね?
こういう意図を含んだ言葉に
まんまと乗せられて踊ってしまう。
そしてアレよアレよと色々溶かしてしまう。
専門用語で言うところの、
”不運(ハードラック)”と
”踊(ダンス)”っちまう
ってやつである。(特攻感)
揺れた自信は無施錠の金庫と同じ
揺れた心に侵入するのは、
そんなに難しくない。
ハラが減ったうちのキャッツらを、
「エサ袋のガサ音」だけで呼び寄せるくらい
チョロいんである。
自信のなさを、
お金のせいにしている人には
「◯◯で儲かりましたよ」と匂わせればいい。
頭の悪さのせいにしている人には
「頭のいい人は◯◯してます」と。
太っているせいにしている人には
「◯◯で痩せましたよ」と。
能力のせいにしている人には
「◯◯で能力が上がります」。
こんな単純なことで?と思うかも知れない。
人の心の脆さをナメてはいけない。
弱っているときなど案外こんなモンである。
自信が欲しくてタマラン人々は
カンタンに踊ってしまう。
毎日がダンスホールかデスコのようである。
しかし、当人たちは決して踊りたい
わけではない。
自信が欲しい、自分はこれでいいのだと
確信をもって生きていきたい。
純粋にそう思っているだけなのである。
わかる。
私も死ぬほど自信が欲しかったクチである。
自信を得るためなら犯罪以外は厭わぬ、
それくらいの行き過ぎた思考になっていた
時期もけっこうある。
だが、ズバリ言わせていただこう。
自信など手に入らない。
うなるほどの大金を手にしようが、
バッキバキに体を鍛えようが、
強スキルを身に着けようが、
大量の知識を得ようが、
自信がアナタに降ってくることはない。
あり得ない。
えぇぇ?本当かいぃ?!
読者諸氏からマスオさんのような悲鳴が
聞こえてくるようである。
自信が手に入らない、って
じゃあどうしたらエエんですか!
そう言いたくなる気持ちもわかる。
しかし、手に入らんものは入らんのである。
…が、よく考えてみてほしい。
この、バファリンよりも
呑み明けの参鶏湯よりも
鼻セレブよりも優しいと評判の私が
アナタを絶望させるためだけに
こんなことを言うだろうか?(微妙な優しみ)
そう思ったアナタは鋭い。
そう。
多くの人が思っているような
『物として手に入る自信』は
ドコにも存在しない。
ゆえに、手に入らないと言っているんである。
実は自信の訳語としてよく使用される
英語の”confidence” は
もともと「信頼」に近い意味を持つ。
ところが、自信が
「ある」とか「つく」とか「もつ」とかいう
使い方をしてしまったがために、
「自信というステキ物体」がどこかに
存在するような気がしてしまったんであろう。
まァ、重力波のように100年後とかに
発見される可能性もないとも言えんが…
今ンとこは、存在しない。
では、自信とは何か?
私の答えは極めてシンプル。
「不安をあまり感じていない状態」
それだけのことである。
「自信がある」というのは、
「あんま不安は感じないっすね」ということ。
「自信がない」というのは、
「むしろ不安しか感じないっす」ということ。
そう考えると、よく言われる
「数をこなして自信をつける」ということの
本当の意味が見えてくる。
何度も繰り返し不安な状況に触れる、
それによって脳が不安な状況に慣れて
不安を感じなくなっていく―
と、いうことになるであろう。
先日私がマンガでお伝えしたように、
脳は不安にちょっとずつ慣らすことで
不安を感じるセンサーがユルくなっていく
というヤツである。
(こんなもん描いてるからBL愛好家の嫌疑がかかるんだと、今気づいた)
ただ、最初っからド恐怖の
真っ只中に放り込まれて
「さあ耐えろ!」ってのは違う話。
あくまでもチョッとずつ、まずは
先っちょだけ、みたいな感じ?(待て)
脳を慣らすにはそれなりの時間が
必要なんである。
まァ、その話はまたいずれ。
「自信」を辞書から消すのだ
このクレバーにもほどがある
私の記事を読んでいるアナタは
もはや「自信」などという
ふわふわスピより5億倍フンワリした
言葉に踊らされる必要はなくなった。
「自信がないなぁ…」などとは言わない。
「強めの不安を感じてるなぁ…」である。
「自信が欲しい!」など言語道断。
「不安を和らげたいアル!」が吉。(何)
「自信」という言葉は、手にすれば
人生を逆転させる妙薬かのように
扱われているフシがある。
しかし、そんなもん幻であり
「万能霊薬エリクサー」みたいな
ファイナルファンタジーくらいでしか
見かけないファンタジーな代物である。
まァ、ウチには「ELIXIR」と書かれた
謎のビンが置いてあるけども。(厨二病)
歴史を紐解いても、不老不死など
ありもしない幻の妙薬を求めた者は
だいたい詐欺師たちのカモである。
自信を求めてやまない者たちも
そんなワナに陥る傾向がある。
…まァ、私もだったけどな!ハハッ!(涙)
ゆえに、
もう金輪際そんな幻を追うのは
ヤメにしようではないか。
アナタが求めるべきは自信ではない。
不安についての正しい知識である。
そして、アナタが本当に求めていたのは
「安心」に他ならないのである。
おわりに
思えば私も自信を求めて、
長い長い遠回りをしてきたように思う。
ホンっとに…(遠い目)
自己価値が常にマイナスだった私は
皆と対等に扱ってもらいたい、
自信をもって関われるようになりたいと
涙ぐましい努力を続けてきた。
結果、できることや持ち物は増えたが
自信は1ミリも増えないどころか
詐欺くせぇ暗号通貨の価格ばりに
メキメキ急落していった気がした。
だが、私がやるべきだったのは
不安というものを正しく理解し、
不安を強めないようにすることであった。
今、「自信はあるか?」と聞かれれば
「ちょっと何言ってんのかわかんない」
と答えるであろう。(サンド感)
かつて自信がなかったことについて、
今はそこまでの不安を感じていない。
もちろん、強い不安を感じるような
挑戦だってなくはない。
だが、そんなときであっても
もう「自信がほしい」とは思わぬ。
ああこれは不安を感じることなのだなァ、
とノンキに思うだけである。
もう私は踊らされない。
私が踊るのは楽しいときだけである。
アナタもご一緒にいかがであろうか。
シャル・ウィ・ダンス?
まァ、こんなダンスだけどな。
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